おじさんの葬儀で、北陸へとんぼ帰り |
父の兄、本家のおじさんが、急逝したのだ
13日の朝、お経をあげ、しばらくして座っていると
寝ているように、亡くなった
14日は通夜だったが、仕事終わってからはキツイ
15日の11時からの葬儀に出席することにした
新型ノアで5時20分に家を出る
心配した渋滞はなかった
東名はトラックと車と多かったが、止まることはなかった
途中は、トイレ休憩だけで運転をかみさんと交代して走った
9時過ぎに、かみさんの実家についた
そこで、礼服に着替えて、かみさんの父を乗せて向かう
弟が電車で来るというので、気になった
10時20分には葬儀場に着いた
次男はタクシーで先に着いていた
3男は、かみさんと娘を連れて、すぐに来た
親族が集合して写真を撮った
見ると、菓子盛りに兄弟3人の名前があった
父に聞くが、菓子代は香典に含まれるということだ
今日の予定も、菓子盛りも、食事の予定も知らされなかった
兄弟で相談するが、流れに任せていこうか・・・
かみさんは、葬儀が終われば帰っていいだろう
思いこみの強い人ですから・・・逆らいもせずに・・
葬儀で、おじさんは86歳で、大往生だった
弔辞があった 中国からインドシナへの出征で、隊長が読んだ
おじさんは、軍人だったのだ
修羅場をくぐり抜けた強さと厳しさがあった
亡くなった負けず嫌いの母は、苦手にしていた
父は末っ子で、兄弟から甘やかされていた
だから、キツイ母に仕切られて父は可哀想だ
いつも、そう言われていたのだ
母は、いつも悔しがった
家族、家を守るために、鬼になって
男3人の息子を大学に入れ、育てたのに評価されなかった
それを知っていて、自分も素直になれないのだ
何となく、ひいてしまう 警戒してしまう
淡々、つつがなく葬儀は終了した
棺を持ったりした 見送るつもりで立っていた
しかし、斎場まで行ってくれと、マイクロバスに呼ばれた
流れに従って、兄弟は乗った
かみさんは、自分の父をノアに乗せて帰った
3男のフィットには、5人しか乗れない
父も入れると、一人あぶれる
かみさんを、呼び戻すかどうか、気になりだした
斎場への道は、天気もよく気持ちよかった
昔の私鉄電車の軌道が、自転車道路になっていた
車止めが多くて、ロードで走るのは大変だ
普通の国道を走るだろう
実際、ロードが2名並んでツーリングしていた
33度で、暑くなっていたが頑張っていた
いつか、おじさんの供養のために
この道をシナプスで走るぞ~~
火葬は、1時間半もかかった
朝早くて、疲れてソファで寝ていた
焼き上がり、骨を拾う
2月に母の葬式をした それを思い出した
骨は86歳にしては、しっかりしていた
職業柄、大体の骨の名前が分かってしまう、辛いものだ
それにしても、冠婚葬祭が続くものだ・・・
2週間後は娘の結婚式だ
そこで、いとこに聞くと、このあと、
チュウゲンの食事があるという
父だけ、出て貰い 兄弟は帰ることにした
近くで加賀の銘酒 菊姫の酒蔵で3男が酒を買った
父は送ってもらうことにした
それを言うと、父は、自分も腹一杯で帰る
兄弟の葬式だ 絶対に出ないといけない!
そう言ったけど・・・
葬儀場の近くの旅館で、御膳があったらしい
あとで、父に怒られた
うちの6名が欠席で、空席は目立ったようだ
顰蹙かもしれない 冠婚葬祭は難しいな
はっきり、仕切って欲しいな
あうんの呼吸というのは、苦手だ
でも、久しぶりの従兄弟や、その子供にあるのは
嬉しく恥ずかしい
かみさんの予定があって、新型ノアで家に帰る
途中で横風で、車のコントロールで緊張した
やはり、北陸の冬を考えるとレガシィーは最高だ
新型ノアは、心配だ
燃費は、高速が主で13.6km/hだった
家には23時45分に着いた
疲れました~~北陸トンボ帰りは・・・