2008年 04月 01日
都鳥吉兵衛の住居跡について |
近場のポタならではの発見ですが
悪名高い都鳥親分の住居跡の質問がありました
分かりにくいです 何もないのですから・・笑い
確か小さな看板と、杭に銘があるだけです
テクノ街道を北上して国道362号線で左折する
フルーツパークや旧都田村へ降りる道です
そして、降りきってフルーツパークへ右折する大きな道の
手前の小さな道を右折します
すると、すぐに古びた民家跡?の横の空き地に杭があるのです
ついでに都鳥親分は森の石松を騙し討ちしたことで有名です
真実かどうか、任侠侠客同士の諍いかもしれない
次郎長親分が明治に有名になったので
石松も有名で善玉、都鳥は悪役になったのかもしれません
都鳥の墓は浜松の追分付近にあるようです
1957年の映画「森の石松」のあらすじでは、以下のようになっています
森の石松(1957)
遠州森村のチンピラやくざ石松は、村祭の喧嘩の仲裁に入った男を清水の次郎長と知らずに食ってかかる。それが縁で彼の乾分になって以来、その愛すべき気性で次第に売り出す。幼馴染のおよしと七五郎が駆落ちしてくると、次郎長に頼んで二人を添わせてやったりする。彼を慕う観音参次の妹おえんが兄に連れられ故郷に帰ることになった。彼らは互いに心を惹かれているが、会うといつも口論である。石松は参次のため餞別を集めようと、次郎長の不在を幸い、無断で縄張り外に花会を開いた。これを知った都鳥吉兵衛は、弟分半崎の梅吉をそそのかし賭場へ乗りこみテラ銭をまき上げる。親分の留守に名をかたったと言われ、石松が両手をついて謝ろうとすると、都鳥の用心棒玄蕃が無法には石松の片目に斬りつけた。石松は激怒した。玄蕃からテラ銭箱を取戻し、阿修羅のように暴れ廻った末、意気揚々と清水へ引揚げる。旅から帰った次郎長は石松をこっぴどく叱りつけ、おえんと別れた気持を酒にまぎらわす彼の性根を叩きなおそうと、金比羅代参を命じる。都鳥一家の近くは決して通るなと注意することも忘れなかった。--道中無事金比羅詣りがすんでの帰り道、石松を待ち受けていた吉兵衛に言葉巧みにさそわれ都鳥の家に泊った。そして身受山から託された香奠百両を都鳥に用立てた。親分から道中禁じられた酒を飲まされたのだ。その返済を待つ間、石松は芸者になったおえんに会い、清水へ連れ帰る約束をする。ところが、前に参次を殺して餞別を奪った吉兵衛一味は、事が露見したと思い、金の返済にも困ったので、石松を謀殺した。斬り合いの間、彼は親分から封じられた長脇差を抜かなかった。幼馴染の七五郎とおえんが彼の臨終をみとった。七五郎の報らせを受けた次郎長は乾分を連れ都鳥一家へナグリ込みをかけた。最後に、次郎長は石松の長脇差の封印を切り、吉兵衛を斬り倒して仇をうった。
by synapsec3
| 2008-04-01 21:56
| 滝沢・都田川コース
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